大越吾亦紅

大越吾亦紅(おおこし われもこう)

本名・大越利一郎
1889年(明治22年)年4月5日 –1965年(昭和40年)年2月28日

若いころから俳句をたしなんだ。
1914年に層雲に加わり、活躍する。
荻原井泉水は吾亦紅を層雲の北極星と称した。
また、「草心句会」を主宰した。
教職についていたため、各地に移動し、その地において句会を催し、後進を育てる。
1946年、俳句の師である荻原井泉水と田植をする。
1952年に層雲賞を受賞する。
1965年に層雲寿老賞受賞、その当日に結腸がんにて他界する。

代表句

・親にそむこう心麦踏みてやわらげり
・クラリオネット、遠い月夜の曲馬団
・こんなよるはふくろうの目を背中に感じる

略歴

秋田県仙北郡角館町にて大越利助とミヤの子として出生。
秋田県立角館中学校、秋田県師範学校を出た後、秋田県において教員となる。
1915年に俳人である佐藤山方の姉に当たるミヤと婚姻、三男二女に恵まれる。
1947年に教員を退職する。
その後は図書館において、司書や館長を務める。

参考文献